たかが、されど

3月11日。

 

その日からはや7年。

7年前、自分は自宅にいたわけだが、これまで経験したことのない揺れに覚えた感情はよくわからない。いや、よくわからないというよりも、表現することが難しい。

 

当時の仕事の関係上、東日本大震災はわりあい近しい関係ではあったけれども、やはりどこか他人事としか思えない。テレビを通じて、新聞紙を通じて、仕事を通じて、被災地の情報は耐えなく入ってくるも、やはりどこかで自分とは無関係だと思っていた。いや、今も思っている。

 

自分が被災したわけではなく、身内の親しいものが被災したわけでもない、これといって被害は受けていないのが、他人事だと思えるような原因であるのか、それとも、ただの平和ボケなのか、それとも、自らの性格が冷血なのか。はよくわからないが、3月11日に起きた大震災に関して覚える感情は甚だ薄い。

 

震災地支援のボランティア、震災のために行われるチャリティー番組やコンサート、震災地支援のための寄付、これらは一切行ったことがない。それらを行っている人たちについてはすごいと思うけれども、自らと無関係のことではそのような気持ちは自発的に出てこないし、余裕もない。仮に行ったとしても、どこか偽善的な気持ちはあると思う。

 

と思うと、自分はいかに人間が小さく、そして、利害損得の勘定を考えて行動してるのだと思うと、卑屈にはならないが、もっと器の大きい人間にはなりたいと思う。

 

と思った3月11日でした。